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東京地方裁判所 昭和51年(ワ)9745号 判決 1979年2月26日

原告 京浜調査工事株式会社

右代表者代表取締役 田村喜志

右訴訟代理人弁護士 小林優

被告 東海汽船株式会社

右代表者代表取締役 尾上浩彦

右訴訟代理人弁護士 本林徹

同 飯田隆

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金二、六九〇万円及びこれに対する昭和五〇年一〇月一六日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告は、海運業、港湾運送等を業とする株式会社である。

2  被告は、田口昭三との間で同人所有の船舶第七金力丸について定期傭船契約を締結し、右船舶の定期傭船者となった。

3  その後、原告と被告は、昭和五〇年一〇月一四日、被告が原告所有のボーリング機械一式を八丈島から東京港まで海上運送する旨の契約を締結した。

4  第七金力丸船長は、右契約にもとづき同年同月一五日右ボーリング機械一式を同船に積み、八丈島底土港を出港しようとしたが、その際同船は坐礁して大破のうえ沈没し、積荷のうち大部分は引揚不能となり、一部は引揚げられたが、それらは全く使用に耐えない状態であったためスクラップ処分され、現在原告に返還されたものは何もない。

5  右事故は、被告の重過失にもとづくものである。

6  原告は、右事故によって合計二、六九〇万円の損害をこうむった。その内訳は次のとおりである。

(一) ボーリング機械一式(内訳は別紙明細表の通り) 金二〇、四〇〇、〇〇〇円

(二) 操業不能による損失(昭和五〇年後半から昭和五一年度中、少くとも一年間操業できなかったことによる損失) 金六、〇〇〇、〇〇〇円

(三) 雑費

人件費 金三〇万円

旅費 金一〇万円

諸事務費 金一〇万円

合計 金五〇〇、〇〇〇円

7  よって原告は被告に対し、債務不履行及び不法行為による損害賠償請求権に基づき二、六九〇万円及びこれに対する事故の日の翌日である昭和五〇年一〇月一六日から支払ずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  請求原因2の事実は否認する。

3  請求原因3の事実のうち、ボーリング機械が原告所有であることは不知。その余は認める。

4  請求原因4の事実のうち、「積荷のうち大部分は引揚不能となり、一部は引揚げられたが、それらは全く使用に耐えない状態であったため、スクラップ処分され、現在原告には返還されたものは何もない。」という点は否認し、その余は認める。

5  請求原因5の事実は否認する。

6  請求原因6の事実は不知。

三  抗弁

本件事故は、八丈島底土港の岸壁付近の海中に予見不可能な未確認の暗岩(長さ約七・二〇メートル、高さ約五・〇〇メートル)が存在したことによって発生したもので不可抗力によるものである。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因について

被告は海運業、港湾運送等を業とする株式会社であり、原告と被告は昭和五〇年一〇月一四日被告がボーリング機械一式を八丈島から東京港まで海上運送する旨の契約を締結した事実、及び第七金力丸船長は右契約に基づき同年同月一五日右ボーリング機械一式を同船に積み八丈島底土港を出港しようとしたが、その際同船は坐礁して大破のうえ沈没した事実は当事者間に争いがない。

二  抗弁について

《証拠省略》によれば次の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

第七金力丸は、台風救援物資約四〇〇トンをのせ、昭和五〇年一〇月一四日午後五時三〇分京浜港東京区を出港し、一五日午前九時八丈島底土泊地に到着し、同一〇時三〇分同船船長である嶋田昭一は、同泊地の岸壁の東端から東四分の一北約九〇メートルのところに右舷錨を投下し、岸壁の延長線上その東端から約二〇メートルのところに左舷錨を投下し、右舷錨鎖約三節半、左舷錨鎖約一節半とし、左舷側に出船に横付けし揚荷作業を開始した。その頃大陸には一〇三四ミリバールの高気圧があり、風力五の北東風が吹いており、同一一時四五分八丈島全域に波浪注意報が発表された。船長は天気が悪くなることをある程度予想していたので気象に注意しながら荷役に従事していたが、午後三時頃には風力六となり波浪も高まってきたので、陸上と連絡をとったうえ荷役を中止し、出航準備にとりかかり、同三時三〇分頃本件ボーリング機械一式をのせ、海水バラストニ〇〇トンをはり、船首〇・八〇メートル、船尾三・〇〇メートルの喫水で出航した。船長嶋田昭一は船首索を一本残して他の係留索を放し、機関を微速力前進にかけて両舷錨鎖を巻きこみ、船首が岸壁東端と並んだころ残りの係留索を放した。同時三五分船首が岸壁東端から約二〇メートル出たところで左舷錨を揚げた。その頃から風浪とうねりのため船首が急速に右方に振れたので船首を風に立てようと左舵一杯とし、機関を約八ノットの半速力前進にかけた。ところが、岸壁東方端から東微南七〇メートルの別紙海図記載の水深七・二〇メートルの地点に、長さ約七・二〇メートル、高さ約五・〇〇メートルの未確認(これ迄海図、水路誌などに記載されていない未確認の)の暗岩が存在し、これに一節半となった右舷錨鎖がからんで左舷船首六〇度方向に張り揚錨できなくなったので、直ちに機関を停止し巻きこもうとしているうち、同時四〇分頃船首がほぼ北東に向き、機関を前進にかけたところ錨鎖がはずれ、これと同時に風浪及びうねりのため船首が大きく左方にゆれ、北を向き、岸壁方向に走錨しはじめた。船長は直ちに機関を全速力前進にかけ、右舵一杯として沖に出ようとしたが効なく船体の左舷中央部が岸壁に衝突しそうになったので、急いで機関を全速力後進にかけたが、よけきれず左舷船首が岸壁に衝突した。そこで船長は機関を停止し左舷錨を投じ、船首から係留索を岸壁にとり、船首を立てようとしたが効なく、陸岸に寄せられ、同三時四五分頃岸壁の東端からぼほ南西一四〇メートルの地点に乗揚げるに至った。

本件事故につき、船長嶋田昭一の所為が原因をなしているか否かについて海難審判庁の審理に付されたところ、昭和五二年五月二三日横浜地方海難審判庁は、本件事故は岸壁付近の海中に未確認の暗岩があったことに因って発生したものであると判断を下し、第二審である高等海難審判庁も昭和五三年八月二九日同趣旨の裁決をなし、この裁決は訴の提起がなく確定している。

右認定事実に照らすと、本件事故は、底土泊地の岸壁付近の海中に未確認の暗岩が存在していたため、これに錨鎖がからみ、操船が自由にならなくなったことによって発生したものと認められ、船長が右暗岩の存在を予見することは困難であったと認められるので、本件事故発生について船長に過失はない。

なお前掲証拠によると、当時船長が離岸に際して、アンカー把握力の点検確認を行わなかった事実が認められるが、海図及び水路誌の記載及び当時の気象状況に照らすならば、右事実をもっていまだ船長に過失ありとすることはできず、又、同証拠によれば、船長は当時、天気予報を見聞きせず、風速計の設置もしていなかった事実が認められるが、他方同証拠によれば、船長及び一等航海士は、自ら風浪、うねりについて十分注意を払っており、又東海汽船八丈島支店では、テレビ、ラジオ、電話その他によって気象情報を収集し、適宜船に連絡をとる体制になっており、当日船長は風力、波浪の増勢について陸上と連絡を怠っていないので、船長が天候について注意を欠いていたとすることはできない。

なお、前示した離岸直後に船首が急速に右方に振れた事実及び暗岩に錨鎖がかかって巻けなくなったときの錨鎖の長さが一節半であった事実をもって、離岸直後にすでに走錨していた事実を推認することはできず、よってこの走錨が本件事故発生の原因であるとすることもできない。

よって本件事故について被告が損害賠償責任を負うべきものとは認められないから、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は理由がないものとしてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 山田二郎)

<以下省略>

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